毛沢東
2001年10月31日今日の授業(4年なのにいまだ授業があるって事は突っ込まないように 笑)
毛沢東についての『知ってるつもり』ビデオ。
を見た。
まあ、それは良いとして
ちょっと気になった事。
毛沢東が心やさしかった母が病気になった時、
神社まで3歩参りというのをしたそうな。
それは、
3歩歩いてはひざまずいてお参りをすると
いうもの。
これを見た私は彼の根性に感心したのではなく、
それをやってる動作を、今の日本でしたらどうだろうという事をふと考えてしまった。
道を歩いていて、3歩歩いてはお辞儀をするという
人がいたら変人扱いされるだろう。
やはり、文化、国の違い。危機感が違うのだ。
あの、激動の時代にそんなことに気を配ってる人などいないのだ。
中国という国、普通に日本でいう常識を気にしてるひとなどいない。
ある意味、農村部は原始時代と変わらぬ日常を営んでいる。
イスラム教にせよ、儒教にせよ。日本のように人目を気にしたりすることはない。
つまり、日本人にとっては人目を気にするって事が宗教と成っているのではないか。
ウーン。何を書いてるんだかよくわからなくなって来たけど、結局私は、毛沢東のあの革命に対する
信念の強さに感動したのは間違いない。
毛沢東についての『知ってるつもり』ビデオ。
を見た。
まあ、それは良いとして
ちょっと気になった事。
毛沢東が心やさしかった母が病気になった時、
神社まで3歩参りというのをしたそうな。
それは、
3歩歩いてはひざまずいてお参りをすると
いうもの。
これを見た私は彼の根性に感心したのではなく、
それをやってる動作を、今の日本でしたらどうだろうという事をふと考えてしまった。
道を歩いていて、3歩歩いてはお辞儀をするという
人がいたら変人扱いされるだろう。
やはり、文化、国の違い。危機感が違うのだ。
あの、激動の時代にそんなことに気を配ってる人などいないのだ。
中国という国、普通に日本でいう常識を気にしてるひとなどいない。
ある意味、農村部は原始時代と変わらぬ日常を営んでいる。
イスラム教にせよ、儒教にせよ。日本のように人目を気にしたりすることはない。
つまり、日本人にとっては人目を気にするって事が宗教と成っているのではないか。
ウーン。何を書いてるんだかよくわからなくなって来たけど、結局私は、毛沢東のあの革命に対する
信念の強さに感動したのは間違いない。
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